適性検査の歴史
(1)適性検査の発祥と発展
●「科挙」がルーツ。1900年代から測定ツールの開発が進む
ここでは、適性検査の「歴史」を見ていくことにしよう。適性検査の歴史をひも解くと、古く中国の官吏選抜試験であった「科挙」にまでさかのぼることができる(587年)。その後、資本主義経済が進んだ近代となって、能力や性格などの個人差を測定する研究が世界中で進む中、20世紀初頭、科学的な手法を元に、人物を測定する検査が欧米で続々と開発された。まず測定ツールとして世界で初めて開発されたのは1905年、フランスの心理学者A.ビネーとTh.シモンによる「知能検査開発」。これは、子どもが義務教育のカリキュラムを受けられるかどうかを検査する、学習能力評価として作られたものである。その後、フランスでは運転手の採用選考に適性検査が用いられるなど、欧州の中でも早くから適性検査の普及が進んでいった。
他方、アメリカに目を向けると、1900年代前半に心理学者R.S.ウッドワ―スによって、「パーソナル・データ・シート」(紙質問紙法)による性格を測定する適性検査が開発された。これは、軍人の情緒安定性を評価するためのものである。その後、1921年にH.ロールシャッハが有名なインクの染みを用いた「性格診断法」、1922年にはA.F.ペインが「文章完成法」を開発するなど、経済の発展とともに適性検査の開発・運用が大きく進んでいった。特に、1943年に開発された心理学者S.R.ハサウェイ、精神科医J.C.マッキンリーによって開発された「ミネソタ多面人格検査」は、人事アセスメントに大きな影響を与えた適性検査として知られている。
(2)日本における適性検査の発展
●1970年代から、「SPI」など本格的な適性検査の利用が始まる
日本でも、1919年の久保良英などによるフランスの「知能検査開発」をモデルとした「日本版ビネー式知能検査」、1927年には内田勇三郎の「クレペリン検査(作業検査法)」など、心理学をベースにした知能検査や職業適性検査が普及したが、実際に民間企業での利用が始まったのはかなり後のことになる。具体的には、第二次大戦後の1952年に、アメリカで開発された職業適性検査の日本版「労働省編一般職業適性検査(GATB)」が実施された。これは求職者を対象に、職業ガイダンスに適用されたものである。その後、事業用にも提供されるようになったのは1987年と、かなり間が空く。
日本企業独自の適性検査としては1974年、リクルートが開発した「SPI」が挙げられる。能力・性格を一つのツールで多面的に測定し、総合的な人物イメージを把握できる適性検査ということから、新卒採用における不可欠なツールとして広く普及していった。その後、大学生数の増加とともに、応募者の基礎能力やポテンシャルを測るために、各社でさまざまな適性検査が開発、商品化された。さらに、近年ではインターネットによる大量応募に対する選考業務の負荷を軽減するため、「一次選考」としての役割で、適性検査が常態化してきたのは周知のことである。